【このまちを知りたい旅vol.8】令和時代のハイブリッドものづくり?! 株式会社深井製作所
このまちでお店を開き、日々営み、店や仲間を通して色々な繋がりができた。
けれどまだまだこのまちのこと、知らない場所も人も沢山ある。
『足利をもっと知りたい!』の想いに導かれて、仲間と時々ローカルツアーをしてみることに。
大月町の小高い丘を少し上がると、白亜の建造物がそびえる広大な敷地に入っていく。
夏の始まり、足利ミッドタウン商店会のメンバーが集合したここは、株式会社深井製作所。主に、自動車板金部品を製造する、1938年創業の老舗企業である。
ここ数年、体育館のネーミングライツ、スポーツチームのユニフォームスポンサーとして、市内でも頻繁に社名を眼にする。製品を取引先へ運搬するトラックは、1日40便ほど、まちなかの幹線道路を行き交う。足利に生まれ育った人間にとっては、小さい頃からごく当たり前のように存在するこの企業。しかし実際のところ、どのようなものづくりをしているのか、よくは知らないメンバーも多かった。そんな時、とある縁が今回の訪問を実現させてくれた。

令和時代のものづくり
出迎えてくれた社員の方の案内で、まずは事務棟へ。早々に、隣接する工場から、身体に響くドーンドーンという大きな音が、断続的に聞こえてきた。工場に潜入するのは、小学校の社会科見学以来。緊張と期待で胸が高鳴る。
工場潜入前には各自、白衣・帽子・メガネの3点セットの装着が必須。安全と品質を維持する為のドレスコード。そしてもう一つ渡されたものが、ポケットサイズのイヤフォンスピーカーだった。


「機械音が大きくて、これが無いと案内の声がまったく聞こえないんです」と社員の方。
なるほど、廊下まで響いていた大きな音の主は、中型(といってもかなり大きい)のプレス機だった。人間が金属版の資材を投入すると、切断加工された部品が、次から次へと積みあがっていく。
別棟のプレス棟では、3500トンと1000トンというハイパワーの大型プレス機が稼働。
壁面は公害防止の為、音楽スタジオで使われるような防音壁となっている。
―今プレス機で切り出されたこの部品は、自動車のどこの部分になるのですか?
「緩衝部品になります。自動車の前方に配置される、人命を守る為の部品です。部品の耐性、安全性を評価する為、衝突試験機も使用し、万全を期しています」
“人命を守る為の部品”を生み出すことに伴う、重い責任と誇り。

プレス機で切断加工した、いくつかの部品は、溶接によって接合し完成品となる。
自動車部品の接合は、スポット溶接による。ここで活躍するのがロボット。資材を人間がセットし起動すると、ロボットが強い電気の力で溶接を行う。
常に火花が散っている昔の溶接現場からは格段に、安全な職場へと変化しているのだという。
「ちょうど、管理のスタッフが、現場の品質と安全のチェックで巡回していますね」
東京ドーム5個分の広大な敷地に建つ工場は、約300台のロボットが配置されている。導入前は、1ラインにつき4名ついていた人員が、導入後には1名で済む等、効率化を著しく前進させている。

通路を走る資材運搬車は、足利の市場でも使われているターレット。これは、人間のスタッフが運転していた。
ロボットが大活躍する令和の製造現場を目の当たりにして、私たちは“人間”の存在意義を、これからどう見出していくべきかと思いを巡らせる時間となった。
人を大切にする会社作りへ
見学終了後、同社社長へのインタビューが可能となった。
深井知(ふかいさとる)代表取締役社長(48歳)。

1977年足利市生まれ。中学校から大学まで、アメリカで教育を受ける。
―若年期から海外で学ばれたということで、今に活かされていることは?
「一番は、英語のコミュニケーションが可能になったことですかね。あと、当時のアメリカの友人とのネットワークを、今の仕事にも活用できていることだと思います」
新聞記者や自動車のメガディーラーとして活躍する友人とは、自動車業界、製造業界、世界情勢に関する生の情報交換を、定期的に行っている。それは、経営者としての大きな武器になっているという。
2000年、株式会社深井製作所入社。創業家の3代目として、2019年に代表取締役社長へ就任した。
少子化が進む現代で、製造現場の人材も減少の一途をたどる。求職者から、働きたい企業に選ばれる為、技術の向上と同様に、働き手の環境改善に関しても、試行錯誤し続けている。

深井社長が入社した当初、まずは製造現場へ配属され、プレスも組立も担当した。
現場に身を置いて、肌で感じたことの一つは、労働環境について。特に、溶接現場で切実なのが、空調問題である。
「この工場を建設した当時は、空調対策に関して、設計にうまく取り入れられていなかったんです。私が入社した時も、日本の気温は今ほど上昇していなかったので、スポットクーラーを利用していたのですが、あれは後ろから暖気がでてきて、結局室温があまり下がらないんですよ」
溶接の煙(ヒューム)も、うまく取り除くことができていなかった。そして夏の暑さはどんどん過酷になっていく。現在は、空調設備をリニューアル。天井からミスト放出、送風機で一方向へ送風することで、可能な限りの室温低下を試みている。
「令和の時代に必要とされているのは、『会社の為の社員』ではなく『社員の為の会社』という考え方。深井製作所が“人を大切にする会社”であることは、創業から一貫した精神と自負しています」
有能な人材を獲得する為には、よりよい環境を整えること。
足利商工会議所が中心となり推進する『足利流5S(整理、清掃、整頓、清潔、躾)』も取り入れ、働きやすい職場作りを勧めている。
また、経営者として最も大切にしていること。それは“社員の安全確保”。
「経営者とは、責任をとる、判断をするという仕事だと考えています。自分が責任をとれないことは何かと考えた時、それはスタッフの安全が失われた場合だなと」
だから、なによりも“安全”を第一に考えている。


人間×ロボット、協同の時代へ
自社の経験だけでなく、関わりのある他社からも、利点はどんどん取り入れる。
2014年、北米での自動車部品供給拠点として、豊田鉄工(株)と合弁会社FTICを設立。深井社長も立ち上げメンバーとして尽力した。国内外の価値観、知恵、技術と深く関わり、大きな刺激となったという。
「社員へは常に、情報へのアンテナを高く持とうと伝えています」
―ロボットや無人ライン化等、新機能の導入にも積極的ですね
「人間の仕事ぶりって安定していなくて、ミスが起こりやすいものじゃないですか。二日酔いの日とそうでない日とでは状況が変わる。ロボットの仕事は常に一定で、品質・製造スピードの安定化がのぞめる。また、製造において人件費はかなりの割合を占めるので、ロボット導入はコスト面でも理にかなっているんです」
―人間の労働スペースがどんどん減少する中、それでも“人間の力”とはどんなところにあるのでしょうか?
「人間には“気づき、学び”がある。そして、人間には五感、いや六感もあると思っているんです。その能力があれば、老若男女問わず、AIの時代が到来しても必要な人材になり得るのではないでしょうか」

未来の時代に生き残れる人材の育成はこのまちの急務であり、深井製作所はこれからも、足利で生まれ育った次世代が、このまちで生きたい働きたいと思える会社であり続けたい、と深井社長は語る。
このまちを想う
―市外で過ごした時間も長い深井社長から見て、このまちはどんなまちでしょうか?
「良くも悪くも変わらないまちだと思います。“足利”という文字を誰もが「あしかが」と読める。それほど知名度を誇った繁栄の記憶が足かせとなっている気がします」
変化を嫌う保守的なところが可能性をつぶしている面もあるという。
―都会から移住してきた私たちの実感だと、丁度いいまちという感じもします。自然も近くまちにもほどよく個人店が残っていて、暮らしやすいなと思っています。でも“保守的”という面も確かに感じます。その中でも、チャレンジを応援してくださる方もいるので、次世代の為にも私たち大人が、このまちの暮らしがもっと楽しくなるようなコンテンツを、増やすことができればと活動しています。
「同業で勢いのある地方都市では、内外の企業・人材が切磋琢磨し、ダイバーシティがすすんでいる。このまちの行政・商業・市民が、もっとアンテナを高くもって行動していくことが、将来の発展に繋がる道だと感じます」

会議室にはサポートするスポーツチームのユニフォーム等が飾られている
―どんなまちが良いまちだと思いますか?
「通信簿でオール3より、どこかに1つ尖ったところがあるまちが、良いまちだと思います。私が尖ると決めた点はスポーツ。学生時代、英語ができなくても、スポーツや音楽で自己表現ができた経験がありました。栃木シティFCや宇都宮ブレックスへのユニフォームスポンサー、体育館のネーミングライツパートナーの活動は、このまちで育つ子供達の夢への種まき。毎週2、3000人を集められるコンテンツが、このエリアに他にありますか?アメリカでは、ホームタウンにプロスポーツチームがあることは、ステータスになっているんです。その喜びを、このまちの子供達へも伝えたいと思っています」
見返りは求めていない、将来への投資。

お別れのご挨拶をしながら、雑談の中で、深井社長は旅が好きという話が出た。
「旅を励みに、日々働いております(笑)」
最近のおすすめは2泊3日で楽しめる山口県下関エリア。
このまちの日常からひと時離れてパワーチャージ、そしてまたここへ還ってくる。そんな一人一人のエネルギーの重なりが、まちの力となっていく。
まちを支える経済人として、外の世界を見てきた者として、そしてこのまちで生まれ育った一人として。次世代が生きる未来のまちづくりへ、率直で真剣な意見が胸に刺さった、夏の昼下がり。
【ライタープロフィール】
なべのそこ
大正6年に建てられた古民家をベースに、色々やっています。
EVENT,RENTAL SPACE,LOCAL TOUR,and more
まちはなべ。
まるでおでんのタネみたいに、
多様なヒトモノコトが
なべの中を行き交っている。
ぐつぐつ煮込んで
滲み出した深~い旨みが
このまちの魅力だと私は思う。