【このまちを知りたい旅vol.6】わたしの人生一度きり!足利市市議会議員 小沼みつよさん
このまちでお店を開き、店や仲間を通して色々な繋がりができた。
けれどまだまだこのまちのこと、知らない場所も人も沢山ある。
『足利をもっと知りたい!』の想いに導かれて、仲間と時々ローカルツアーをしてみることに。
今回は、会いたい「人」に会いに来た。
“まちづくり”には、まちに暮らす誰もが関わっている。「意識しているかどうかの違い。
そんなまちづくりを「意識」する重要メンバー、どうも漠然としか知らない「市議会議員」という存在を、もっと知りたいなあと思った。
夏の或る朝、アスファルトの照り返しにやられ、すでに汗だくな足利ミッドタウン商店会の面々。集合したのは、国宝・鑁阿寺の北にある市役所1Fロビー。
よく言えばクラシカルなこの本庁舎が、結構好きである。ひんやりとした階段や壁の感じが、どこか懐かしい。隣接した別館もドラマのロケ地として多用される趣のある建築物。
エレベーターを3Fで降りると、坪庭に面したミーティングスペースの奥に佇む、カラフルな人があった。
足利市議会議員、小沼みつよさん(52歳)。
「こちらが〝足利志士の会″会派控室です」
案内された初潜入の会派控室に、商店会メンバーも興味津々。
―会派(?)で控室があるんですね
「3人以上の主義・主張を同じくする議員団体で会派を構成すると控室が提供されるんですよ。会派からは幹事長会議と議員運営委員会に代表者を出せます。この意思決定の場に参加できるということは、非常に大きい意味を持つのです」
小沼さんとは皆ほぼ初対面。お名前の書かれた立て看板がある、みずほ銀行の交差点は日常的に通行しているので、存在はばっちり認識しているが、どんなバックグラウンドをお持ちの方なのかはまったく不明。メンバーのちょっと先輩世代にあたる。
まちなか生まれ、まちなか育ち
―生まれ育ったエリアはどちらですか?
「当時の実家はみずほ銀行がある交差点にありました。今は私の自宅と親の事務所として利用していますが、先祖代々400年程小沼家が住んでいる土地です」
―えーっそれは由緒ある…
「戦国時代、この地の施政者だった足利長尾氏6代目当主・顕長(あきなが)に仕える侍大将の家系だそうです。長尾氏が滅んだ後は、武士から僧となり、蔵王様(現在は岡田パンヂュウ出店地に鎮座)の堂守りになったと聞いています」
―どんな子供だったのですか?
「のんびりした性格だったと思います。幼少期は、父が法律事務所を立ち上げた時期で両親ともに多忙だったんです。だからほうっておかれることが多くて、当時通り沿いに沢山あった近所の店や友達の家に遊びに行って面倒を見てもらったり、習い事を沢山やっていて、結構忙しい子供でもありました(笑)」
UKロックに焦がれて
高校は足利女子高等学校(足女)へ進学。洋画、洋楽が好きな友人の影響で、英語研究部へ入部した。
―えっ、なんかかっこいいですね
「当時の女子高生は、BOØWY、光GENJI、洋楽ファンのグループで分かれていたんです、それで私は洋楽派。今でもニュー・オーダー(イギリスのロックバンド)が来日すると必ずライブへは足を運びますよ」
そんなことで海外や英語への興味が高まっていき、街角で行商していたイスラエル人に英語で話しかけていたら、学校へ通報されたことがあった。高3の時には、親に内緒でイギリス旅行の申し込みをしたらバレてしまい、母親が同行することに。映画で見た名門イートン校やボーイジョージの家をどうしても見たくて母を連れまわした。
―アグレッシブな少女だったんですね(笑)
ニッチな生業
進路は、英語を活かせる仕事をしたいと思ったこともあったけれど、まずは職業人として立ち行く道を模索していた。
親の仕事を見ていたことがあり法学部へ進学、卒業後は足利へ帰郷した。家業の法律事務所を手伝っていたが、弁護士になりたいという欲がそれほどなかったので、法律に関わる職業の一つ、行政書士となる。
―行政書士ってどんな仕事なのですか?
「役所への提出書類、申請等を代行をする仕事です。特に私が専門としているジャンルは、ニッチですが温泉掘削と旅館業です」
顧客は埼玉、那須、群馬、他全国津々浦々。仕事で方々を訪れ見聞を広められることは楽しいし刺激になることも多い。
今は市議85%、行政書士10%、残りはブロガーやyoutuberとして活動している。
―まちへの想いが芽生えたきっかけは?
足利の人って、地元の良いところを自慢する宣伝することが下手だなと思います、宝の持ち腐れ。このまちの魅力をもっと発信したい、よりよいまちにしたい。仕事で全国各地の状況を見てきて、そういう思いがどんどん強くなったんです」
人生は一回だけ!わたし議員になる!
そんな中、転機が起こった。母が倒れ寝たきりになり、看病中に自身もがんの宣告を受け闘病することに。母の晩年はコロナ禍の為、会うことも滅多にかなわなかった。
その経験は、小沼さんの死生観に大きく影響した。
「いつか死ぬときがくるなら、なんでも思い切りやろう。遠慮していたら人生が終わっちゃうぞって」
そして2023年、足利市議会議員へ初当選した。
「市民と行政の橋渡しになりたいんです。市からしたらクレーマーでも市民からしたら代弁者となる。一般質問では爆弾を投げつけるつもりでやっています」
失うものはない、忖度しない、遠慮しない、言いたいことを言う、嫌われてもいい。
―無所属の新人議員って、仕事は誰かが教えてくれるんですか?
「議員になった時から仕事ができるのが前提なので、教えてもらえないです。会派によっては勉強会があるところもありますが。自分で勉強すればいいんです。過去の動画や資料を見たり、役所の担当課と話し合ったり。自分の熱意、深堀できる能力があれば大丈夫、他の仕事と一緒ですよ」
―議員になってみて感じたことはありますか?
「市議はそこまで馬鹿じゃない、思ったより仕事をしているってこと(笑)」
―市議会にどんな人材が必要だと思いますか?
「空気を読めるが読まないで行動できる、常識を持っているけど言いたいことは言える、芯があってぶれない、批判を恐れない、何か専門知識がある、適度に変人、人を巻き込む力がある、人の言うことを聞けるけど鵜吞みにしないで裏をとる。そんな人材が求められていると思います」
このまちを想う
―このまちの魅力はどんなところだと思っていますか?
「環境、景観が良い、住むのに落ち着く、移動するにもコンパクト、美味しいお店が多い、過去の偉人が遺してくれた歴史文化、今でも文化的に意識が高い人が多い。渡良瀬川で分けられた北と南の棲み分けはあってより良いと思います」
エリアそれぞれの持ち味が活かされたまちは魅力的だ。歴史と文化が育んだこのまちの風情は、奥深くて一言では言えないなにかを秘めている。私たちはそれを、次の時代へ伝えていきたいと思っている。
―10月に車道通行止めとなる中橋の架け替えについてどう考えていますか?
「逆にどう思われます?」
―整備が終わった後のビジョンが見えないんです
「そうですよね、どう活用していくのか、そこが見えないと感じています。柱が見えないと市民もついてこない」
中橋の架け替えで人流が間違いなく変わる。どう影響が出るかは、なってみないとわからない。問題は山積みだけれど文句だけ言っても始まらない、どう活かせるか前向きに考えようと小沼さんは言う。
「車が通れなくても歩行者と自転車は通れる、裏通りが流行ったりするかも」
情報発信へのサポートがあるといいのでは、HNWB(カフェとパン屋を巡るスタンプラリーイベント)のような仕組みが通年あるといいかも、発信の仕方ひとつでこのまちがもっと知られるきっかけになるかも、市議にできることより市民が束になった方が力強いこともある。意見の交換はざっくばらんに、遠慮せずに、このまちを好きな人と、このまちへの想いを交わす。そんなひとときが楽しい。
一度きりの人生、やりたいことを思い切りやっている小沼さんの姿勢に、ドンと背中を押されました。目指せアグレッシブまちづくり!
お話の後、市議会議場の見学をさせて頂きました。誰も存在しない空間ながら、会期中の張り詰めた空気を想像させられる。ミッドタウン商店会のメンバーは、市議会議員の椅子へ着席し市長席へと視線を向けてみました。
議員とは、市民一人ひとりの代弁者であることを、緊張をもって実感した私たちの夏。
【ライタープロフィール】
なべのそこ
大正6年に建てられた古民家をベースに、色々やっています。
EVENT,RENTAL SPACE,LOCAL TOUR,and more
まちはなべ。
まるでおでんのタネみたいに、
多様なヒトモノコトが
なべの中を行き交っている。
ぐつぐつ煮込んで
滲み出した深~い旨みが
このまちの魅力だと私は思う。