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【このまちを知りたい旅 Vol.2 須永花火田島煙火工場】

このまちでお店を開いて、
店や仲間を通して色々な繋がりができた。

けれどまだまだこのまちのこと、知らない場所も人も沢山ある。

「足利をもっと知りたい!」の想いに導かれて、
仲間と時々ローカルツアーをしてみることに。

梅雨の長雨、これを過ぎたらあの暑い夏が来るんだなという頃。
今年は、花火大会が中止になると耳にした。
このまちの花火大会は、1903年に始まり、今年開催していたら106回目。
近年では毎年8月の第1土曜日に花火大会、その前夜祭として賑わいを見せるのが、北仲通りの七夕祭りだ。こちらも今回は中止。
この2年、全国の花火師、花火工場が苦境に見舞われていることはニュースで知っていた。
足利にも1軒花火工場があるということも。

今年の夏を、どんな思いで過ごすのだろうか、会って話してみたいと思った。

足利の北の方、名草の山中を進むと、突如広大な敷地が面前に広がる。
須永花火田島煙火工場』。
1927年創業、94年目。
4代目の田島浩さんとスタッフの吉津亜由美さんが出迎えてくれた。
事務所へ入ると奥の寝床で愛猫のちいとみゃあがごろりん。

見学の時間を頂きありがとうございますと御礼を伝えると
「花火をどんな思いで作って打ち上げているのか、多くの人に知ってもらいたいと思っているんです」と田島さん。

田島さんは隣町桐生生まれ。16歳で足利の上岡学園に入学し、調理の勉強をしていた。
卒業後、調理師の道へは進まず、産業廃棄物の運搬トラックの運転手や水商売をしていたことも。
花火師の職と出会ったのは28歳の頃。
「危険なことはお金がいいだろうと単純にそう思い応募したんです。」
と言っても、素人が危険な火薬を取り扱うのだ。
感覚がわからないし、3年くらいは怖くてたまらなかった。静電気や摩擦で火花が出ることもあり、その火傷はひどいものだった。
静電気で火が出るなんて、冬は静電気にめっぽう悩まされている私は、最も向いていないなあと思った。
入社当時の工場長からはきつく当たられていた、そこはハングリーな田島さん。
「昔ながらの職人で、花火作りは全く見せてくれないから、物を持って行くついでに、隙間から手元を盗み見していたんですよ。」
その工場長、こいつだと思った人物に目を付けるタイプだったらしく、最後には「お前に託す」と言われたそう。
最盛期は30人以上いた人員、今は主に7人で製造作業をしている。

須永花火は2017年に経営危機に直面、当時工場長だった田島さんが創業家から会社を引き継いだ。
工場の敷地は4,500坪あって、引き継ぐにあたり数千万円の資金が必要となる。
「方々へ、今後も花火作りを続けていきますとご挨拶に駆け回っている中で、特に親身になって下さる方との出会いもありました。」
そういう方々のところへ何度も何度も足を運び、最終的に手厚いサポートをして頂けることになった。
足利唯一の花火工場が無くなるのは、忍びないという思いもあったのだろうか。

「県内の花火師とはライバル関係なので、新潟や佐賀に山梨と、とにかく他県の同業者に世話になったんです。必死に修行したけれど、それでも材料を300万円くらいはダメにしたなあ。」
とにかく必死だった。

苦楽を共にしてきた吉津さんは17年ほど前に入社。
大学進学で上京していたある年、隅田川の花火大会を見に行った。
何十万人が生の花火を見て同じ方向を向いている。その光景に衝撃を受けて、花火師を志すことに。
「50万人がいっぺんにウァーって歓声を上げるんですよ、すごいですよね」と田島さんも頷く。  

フィリピン人のミシェルさんは20年近く働いている大ベテラン。
花火玉のまわりに紙のテープを丁寧に貼り付けている。
「がたがたにならないように貼るのが難しかったけれど、今はキレイにできるようになりましたよ。」と優しくほほ笑む。
海外の同業者とはSNSで繋がり、情報交換をして切磋琢磨している。
スペイン、アメリカ、中国、タイ、ベトナム。
色々な人に支えられてきた。

足利の花火大会は、日本で10本の指に入る大きな大会。
花火玉の製造は、1年近く前から準備をする。
今は全体の7割くらいは須永花火が担当。

その地元の花火大会が中止の今が、間違いなく今までで一番大変な時。
再び大きい借金を負うことになってしまった。
「でも花火のことを考えるのが好きで、やりたいことをやりたい性分なんです」と、
こんな時期でもワクワクが止まらない田島さん。 

田島さんはどんな思いで花火を作っているのか。
「伝統を守っていきたいです。そして、孫や子供、恋人にとって安全安心な花火を打ち上げていきたいというのが大事にしていることです。火薬類を扱う危険な仕事ですので、貯蔵や製造において違法・違反のない業界になることを願っています。」
見学の間、何度も「安全に」という言葉が田島さんの口から出た。

「あしかがほほ笑み花火」という募金プロジェクトを立ち上げて、近隣各所へ花火玉型の募金箱を設置、個人からの依頼にも対応している。
誰かのお祝い、子供や親の為に、または須永花火への応援の気持ちを込めて。

大きい花火大会は無くても、地元の神社の例大祭の花火で、須永花火の今シーズンが始まった。

来年こそは、渡良瀬川の河川敷で花火を見上げたい。
令和元年生まれ、今だ打ち上げ花火を見たことの無い息子と一緒に。
そして、数万人の観客と「うあーっ」って歓声を上げるんだ。
この2年、不自由な時間を世界の人と共有して、これから大事にしたいまちの風景に気づくことができた気がする。

また新たな縁を手繰って【このまちを知りたい旅】に出るとしよう。

                                                                            
                                                                    
花火写真提供:須永花火田島煙火工場

見学写真撮影:鈴木和博

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