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【このまちを知りたい旅Vol.5】 足利市市議会議員 金子ひろみさん

このまちでお店を開いて、
店や仲間を通して色々な繋がりができた。
けれどまだまだこのまちのこと、知らない場所も人も沢山ある。
『足利をもっと知りたい!』の想いに導かれて、
仲間と時々ローカルツアーをしてみることに。
今回は、会いたい「人」に会ってみる。

“まちづくり”には、まちに暮らす誰もが関わっている。「意識」しているかどうかの違い。
そんなまちづくりを「意識」する重要メンバー、どうも漠然としか知らない「市議会議員」という存在を、もっと知りたいなあと思った。
秋晴れの午後、ミッドタウン商店会の泉会長が営むワインショップ和泉屋へ、わらわらと集まるメンバー達。いつもと違う空気、ちょっとそわそわわくわく、そこへ現れた人物。

「こんにちは!」
足利市議会議員、金子ひろみさん(44歳)。
初めましての人、イベントで顔は合わせたことがある人、お客様として来店されたことのある人、それぞれだけれど、しっかり語り合ったことは今までない。
会長とは奇しくも同年代。当選3回12年活動してきた議員さんに、この仕事のこと、このまちのこと色々聞いてみた。

1枚のエアメール
金子さんは伊勢町2丁目生まれ、今は生涯学習センターとなっている旧相生小学校が学び舎だった。
「小さい頃は、男の子の友達が多くて、いつもそこらを走り回っている子供でした(笑)」
運動会や短距離競争はいつも1位で、中学校へあがると陸上部に入部。高校生の時、マラウィへ赴任した知人から、エアメールをもらったことが転機のひとつとなった。
“家の前をキリンが歩いている、夕日に浮かび上がるキリンのシルエットがとても綺麗”
手紙に書かれた、たった1行のエピソード。この世界のどこかにそんな日常もあるんだと、頭の中でどんどん想像が膨らんでいった。

高校時代の金子さん(中央)

海外への興味が湧き上がってきた頃、偉人マザーテレサの存在を知る。
伝記に記された『世界平和のためにできること?家に帰って家族を愛してあげてください』
という言葉が心に沁みて、「私も無償の愛というものを知ってみたい」と思うようになった。


当時、携帯電話もまだ普及前、情報を調べる術もあまりない。海外ボランティア関連の本を近所の書店で買ってきて、巻末に記載されている関係団体に片っ端から手紙を書いた。
「国際返信用切手を同封して質問を書いて送ると、返信をくれるんですよ」
どうしたら国際ボランティアの仕事ができるか問うと、世界の様々な団体から返答がきた。
高校卒業後、アルバイトをして渡航費を貯め、そのまま海外へ。
10代の勢いってすごい。
スリランカやガーナのNGOや、JICA関連事務所で活動に従事。

-早いですね!高校生の時に夢へ向かって動いたんだ。

「いえいえ、まだその時点では。友達には先生とか看護師とか、夢が決まっている子も多かったけれど、私にはなかったんです、そういう夢」

帰国後、大学へ入学したけれど、在籍したのは商学部。国際協力からはやや縁遠い進路にも思える。在学中にワーキングホリデーでオーストラリアへ。現地で飛行機の世界一周券(26万円で世界を周れるパッケージチケット)を購入し、アメリカ大陸、南極など方々を巡った。

ミャンマーで


この旅で一番印象的だった場所が、南米のボリビアという国だった。チチカカ湖の畔にある小さな村。当時世界でも最貧国と言われていたが、その分独自の文化が残る地域。
「ここに住んでみたい、身をおいてみたいと思ったんです」


ボリビアへ、そして帰郷
ボリビアに住むにはどうしたらいいかと考えて、思い付いた道は、「青年海外協力隊」になること。(※JICA(独立行政法人国際協力機構)が開発途上国の国づくりへ貢献する人材派遣プロジェクト)
医療従事者や教育者など、特別な資格を持たない場合も応募可能な「コミュニティ開発」の隊員となり、派遣されたのはボリビア・サンタクルス県。
「ボリビアではコカの葉(コカインの原料)が神聖なものとされていて、コカを栽培できる地域は全土で2か所と限られているんですが、地続きだから隣接する地域でも依然として栽培はされていて。それらの地域の代替作物として、コーヒー豆栽培を促進するというプロジェクトに参加していました」

ボリビアで


その頃、実家で同居する祖父の体調が悪化。帰国の為、飛行機に乗ろうとした日、逝去の知らせが入った。家族の大事に居られなかったという想いは、今でも心の奥に残っている。
「その時、私の幸せは家族と共にあるのかなと思ったんです」
そして、このまちへ帰ってきた。

市議会議員になる!
足利への帰郷を友人に告げたところ、せっかく海外へ出たのに、もったいない、と口々に言われた。悔しかった、足利が好きだから。このまちで自分のできることをやりたいと思った。

―それで議員に立候補したんですか?

「市議会議員選挙の前の年、いつものように同級生と語り合っている時、「(選挙に)出ないの?」という展開になり。足利のまちづくりに関わりたいと思っていたんです、いつかは。でもいつかじゃ遅い!って。今までやってきたことも議員活動の中に活かせると思いました」
選挙は2011年の4月、東日本大震災のすぐ後で、街宣車は自粛。みずほ銀行のある交差点で街頭演説をひたすら繰り返した。

―僕、聴きに行きました、1票の重みを特に感じていた時期だった。(泉会長)

「えっありがとうございます」

―当選してからはどうでしたか?

「ギャップがすごかったです。皆まちづくりのことを考えてがんばっている人には、好意的だと思っていたらそんなことはなくて。バッシングも多かったし」
1年間血尿が出ていた。

議論をして解決策を考えたり、問題点を見つけ出し提案へ繋げることが議員の仕事。
あとは市や市民の方が開催するイベントや、政策に関係する研修に参加したり。

―デスクワークはどこでしているんですか?

「主に自宅のリビングです。議会支給のタブレットを使用して様々な書類をチェックしています」
書類チェックがこんなに膨大だとは、議員になってから知ったこと。
「市民の方の相談にのることも大切な仕事です。電話、メール、今はSNSでもメッセージを受けとることがあります」

子供が生まれてからは、女なのに子育てしながら議員なんて、と言われたこともあった。
「平成25年に第一子を出産しましたが、議員の産休(出産の為の事故休)が全国的に認められるようになったのは、平成27年のことでした」

―えっ、議員って正式な産休・育休は無いんですか!

金子さん自身、市議会や議員が変化を求められている時代だと感じている。市議会では最近SNSでの情報発信を始めた。

市政報告会で


このまちがよりよくなる為に

―選挙に出たい、議員になりたい人が増えないと、有権者も選択できない。その為にも、情報発信は大事ですね。

「一般企業に勤めていると、立候補自体を躊躇する人もいるのではないでしょうか。落選したら仕事無くなる!と恐れて。落選したら復職できるとか、経済活動と政治活動が、もっと両立し易い環境になったらいいなと思います。社会全体として」

―議員の面白さってどんなところですか?

「問題を解決した時の達成感、制度を良い方向に変えることができるということですかね」
議員になる前、金子さんが資格取得をしたソーシャルワーカーという職業は、社会資源を結び付けて問題解決をする仕事だが、議員の仕事も似ている部分があるという。
(ソーシャルワーカーって、アメリカ映画でよく登場するな)
どうにもならないと思っている困り事でも、視点を変えて考えてみると、思いもよらない解決方法が見つかることも。
「市民の方には是非、議員をうまく活用してほしいです。私もできる限り多岐にわたる方々とコミュニケーションをとって、このまちがよりよくなるよう、できることをしていきたいと思っています」

―議員にはどんな人が向いていると思いますか?

「前向きな人ですかね。大変な状況に直面することもあるし、相談にのることも多いので、マイナスに引っ張られない、向上心のある人。あともっといたら良いなと思う人材は、何か一つ専門知識がある人ですね。どんなジャンルでも役に立つと思いますよ」
様々な分野に関わることができるのが議員の強みであり面白みであると金子さんは言う。

―今注目している問題は?

「様々ありますが、まちなかの人口減少に伴う空き家の増加は、私の地元も多くて。1軒に相続人が4、50人いるということもあり、非常に複雑な問題なんです」
まちなかで活動する、ミッドタウン商店会のメンバーにとっても、身近な問題。メンバーからは様々なアイディアが飛び出した。

“人口が減ってしまうのはしょうがない”魅力的に思えるから住みたくなるのでは”まちなかに商店をもっと増やして魅力的なエリアにするのはどう?”
今空洞化しているまちなかって、元々も今も、便利で、ポテンシャルが高いエリアであるんじゃないかというメンバーの実感を、金子さんへ伝える。
他にも、“小・中学校の再編で空いた施設はどう活用する?”“世代を超えた場作りって?”などなど、ざっくばらんな意見交換に時間を忘れ、気が付くと外は夕暮れで別れの時間。

このまちを好きな人と、このまちへの想いを交わす。そんなひとときが楽しい。


できることもできないことも、実現することも実現しないことも、まずは動き出してみて。
金子さんのお話に、大きな刺激をもらって、メンバー皆うきうきしてきました。
新しい繋がりがまた次の縁を呼んでくる、そんな予感がします。
2024年のミッドタウン商店会もお楽しみに!

【ライタープロフィール】

なべのそこ
大正6年に建てられた古民家をベースに、色々やっています。
EVENT,RENTAL SPACE,LOCAL TOUR,and more

まちはなべ。
まるでおでんのタネみたいに、
多様なヒトモノコトが
なべの中を行き交っている。
ぐつぐつ煮込んで
滲み出した深~い旨みが
このまちの魅力だと私は思う。

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